300km/hオーバーの世界 by 稲田大二郎 TOP > web マガジン > コラム バックナンバー > 稲田大二郎 > CASE 2
OPTIONファミリーの総帥 Dai(稲田大二郎)
300km/hオーバーの世界
CASE 1 谷田部最高速テストコース
CASE 2 ボンネビルスピードウィーク
CASE 3 アウトバーン・ニュージーランド
CASE 4 シルバーステイツ・クラシックチャレンジ

OPTIONや東京オートサロン、D1グランプリの創始者であるDai。そんなDaiの半生は、最高速に捧げてきたと言っても過言ではない。というわけで、普通では体験できない300km/hオーバーの世界を、その歴史と共に4回に渡ってDaiに語ってもらおう。
CASE 2 ボンネビルへの挑戦
 このボンネビルとはアメリカ、ユタ州とネバタ州の境のユタ側に位置するボンネビルスピードウェイのことだ。スピードウェイといっても舗装のコースがあるわけじゃない。塩の湖が乾いた広大なデザートエリアで、通称、ソルトフラッツと呼ばれる。
 この広大な場所でスピードトライアルが始まったのは、1949年、今から50年以上前だ。クルマの最高速を出すには長い直線が必要で、まだスピードが時速200〜300km/hくらいなら普通の道でもできる。昔はアメリカのデイトナ海岸やドイツのアウトバーン高速道路、オーバルコースなんかでトライしていたが、時速400km/h、500km/hと速くなるにつれ、走る場所がなくなった。そこで目をつけたのがソルトフラッツだった。ここでマッハに近いジェットエンジンカーまで走っている。
 毎年、塩が乾きやすい8月に「ボンネビルスピードウィーク」が開催されている。
 日本の谷田部が限界になった時から、オレはボンネビルに目標を移していた。スピードの限界はないし、ここなら参加するチューナー自身がステアリングを握れるからだ(谷田部では他人が事故った場合は問題が出るのでオレだけがテストしていた)。じつはここで活躍していた日本のチューナーがいた。以前からロスアンゼルスに進出していたレーシングビートだ。1978年にマツダRX-7で時速295km/hをたたきだしていた。
 ここの奥(隆介)さんに指導してもらい、1986年のFCセブンのチャレンジに同行させてもらい、ボンネビルのノウハウを勉強した。
 わがオプションチームの初陣は1989年だった。
 参加したのは、TBOの130Z(S130)、オプション(D-speed)180SXの2台。オレが最速をねらって、130Zに乗る。軽く300km/hオーバー出せるとなめてかかったのがまずかった。ボンネビルの壁は厚い。
 まず塩の路面に普通のラジアルタイヤが合わない。250km/hを超えるあたりからスリップしてスピンしてしまうのだ。クラスの関係から大きなエアロを付けられないし、空力のバランスがとれない。エンジンだって思うように吹けない。ここはかなり標高が高いので燃料調整がむずかしい。
 結局、300km/hにも届かないスピード域からの大スピンを繰り返しながら、最初のボンネビルは失敗した。しかし、初の海外遠征や谷田部とは次元の違う最高速トライは大いなる夢をもたらしてくれた。
 翌1990年にはTBOのほか、セントラルZ32、そしてジュンオートZ32が挑戦して、300km/hオーバーの世界を堪能していく。1991年にはジュンオートの小山進さんが421km/hの新記録、オレもステアリングを替わって、記録更新を狙ったが、420km/hくらいでエンジンブローした。
 この間、栄光の200マイルクラブ(200マイル以上で各クラスの記録更新した人だけ入れる)には小山さん、セントラル(今のダンディー)の田中さんが入ったが、肝心のオレは1997年のジュンオートGT-Rで383km/hを記録するまで8年の歳月がかかったのだ。
 このボンネビルではいろんなことを学んだ。
 速度と空気の壁、タイヤとスピードの関係、クルマの空力バランス、エンジンの吸入空気温度や気圧の関係などなど。スピードが未知の領域に入っていく時の不安感がえもいわれない恍惚へかわる。こうして日本のチューニング技術が進歩していったんだと思っている。
 今もオレはボンネビルが好きだ。もし再チャレンジするなら300マイルクラブを目指したいね。
TBO・S130Z
1989年に初めて参加したのは、TBO・S130Zとオプション・180SXの2台。DaiはTBO・130Zのドライバーとしてアタックしたが、マシンセッティングが決まらず、Aライセンス(320km/hオーバーで予選通過)が取得できないという苦い結果に終わってしまった。
TBO、セントラル20
JUNオートのZ32
2度目のボンネビルでは、セントラル20のダンディ田中が世界記録を樹立! 区間平均最高速は357km/hで、日本人初の200マイルクラブ入りを果たす。

421km/hの新記録
前人未踏の421km/hという、とんでもない区間最高速を記録したJUNオートのZ32。推定馬力は1000ps、そこにはJUNオート小山さんの執念の作り込みが秘められていた。

JUNオートGT-R
1997年、DaiがJUNオートGT-Rで念願の200マイルクラブ入りを果たす。400km/hには届かなかったものの、区間最高速は383km/hを記録した。
 
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